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姿勢な風景

ここ10年のインドネシアと日本(3)インターネット



冨岡三智  

留学から帰国して間もない頃は、最近の日本はどうなっているのだろうと、せっせと本屋を廻って雑誌を立ち読みしていた。ちょうどスハルト退陣(1998年 5月)の頃だ。その頃の女性誌には、「仕事のできるキャリアウーマンは、街角で颯爽とモバイルパソコンを開く」といったイメージを強調する特集が載ってい たり、今なら始めからパソコンにインストールされている、簡単にプロバイダ接続できるCDが付録についていたりした。おそらくその頃から、一般個人がパソ コンを買ってインターネットを利用し始めたのだろう。

逆に帰国前のインドネシアのソロでは、インターネット・カフェがぼつぼつ登場し始めていたところだった。ジャワの有名な音楽家の死亡ニュースを、ジャワに 住む自分達よりも日本にいる友人達の方が先に知っていたと分かって驚く、ということが起き始めていた。おそらくジャワに滞在する欧米人がガムランのメーリ ングリストに情報を発信していたのだろう。

そういうことやなんかでやっぱりこれからの留学生にはパソコンが必要だと痛感して、それから1年半後の再留学ではモバイル・パソコンを持って行った。ソロ にもプロバイダができたと聞いていたし、またインターネット・カフェの数もぐんと増えていた。私の住む市役所の裏辺りでは、徒歩10分以内に3軒ネット・ カフェがあった。ちなみにその1軒がクスモ・サヒッド・ホテルに入っているALOHAネットだ。欧米からの宿泊客や留学生がよく利用しているが、インドネ シア人も多く利用している。芸大でも学長室や各学科の事務室にパソコンが導入されており、さらにそれから半年か1年の間に、図書館の中に学生向けにイン ターネット室ができた。こんな具合に、日本で個人所有のパソコンが普及していった頃に、インドネシアでは公的機関のパソコンやネット・カフェが増え、おか げで日本との連絡はとても便利になった。

インドネシアでは、私は普段は自宅でダイヤルアップでインターネットにつないでいた。日本から持っていったモジュール・ケーブルがすぐにだめになり、どこ で買えばよいかと大家さん(工務店)に相談すると、通りの向かいの文房具屋で売っているという。行ってみたら、そこではケーブルがメーター売りされてい た。好きな長さでカットしてくれて、両端にジャック部分を取り付けてくれるのである。日本では長さを選べるといっても限定されているし、1つ1つパックさ れている。インドネシアの方が合理的で、それに物価から見てもケーブルの値段は安かった。日本ではなんでケーブル類というのはあんなに高く、しかも包装だ け立派なのだろう。

また液晶画面がどんどん暗くなり、ついに画面が見えなくなるということがあった。私の友人でも、ノートパソコンを使っている数人がこういう目に遭ってい る。これは、インドネシアでは電圧があまりうまくコントロールされていないから液晶に負担がかかるのだと、インドネシアのコンピュータ屋さんは言う。それ で高価な家電品――パソコンとか冷蔵庫とか――を使うときには必ず電圧安定装置(スタビライザー、インドネシアではスタビリザーと発音したほうが通じる) を使い、コンセントに直接差し込まないようにとアドバイスされた。そういえば大学のコンピュータは必ず何かにつないで使っている。あれがスタビライザー だったのだ。大学で使っているような、差込口がいくつもあるようなスタビライザーは結構な値段がするので、1つだけのを買うことにする。これは電気器具屋 さんで売っている。インドネシアでパソコンを使おうと思っている人は、絶対にこれを買ったほうが良い。

さて画面が見えないと困る。この頃私は芸大の先生を日本に招聘するため、日本と頻繁に連絡を取っていたからだ。けれど画面だけが使えないので、モニターだ けを買ってパソコンにつなげば問題ないということになった。そこで中古モニターを買う。しかし私のはパソコンといってもモバイルなので、普通のパソコン用 の周辺機器がそのままでは使えないことが判明。結局日本のメーカーから取り寄せることになるが、これが1万円近くもしたので、頭にくる。なんで日本のメー カーは周辺機器にやたら高値をつけるのだ。しかもそれだけでは直接モニターにつなげなかった。端末のオス・メスが逆になっていたのだ。これはいけずだろう か。さらに頭にきながら、オス・メスをつなぎかえる接続部品をインドネシアで買う。

私が2003年2月に帰国したら、私の持っているモバイルのタイプはすでに製造中止になっていた。3年前、2回目の留学に発つ前まではまだモバイル・タイ プが多く売れていたのに、世はすでに大型ノートパソコンの時代となっていた。「キャリアウーマンが街角で颯爽と」というイメージではなくて、年賀状を作っ たり音楽や映像を取り込めたりできる性能や実用性が強調されるようになっていて、パソコンのサイクルは速いものだと実感する。

話は戻るが、中古のモニターを買うといってもすぐには在庫がなくて、しばらく待つことにする。その間メールを読む手段はないかとプロバイダに聞いてみた ら、ウェッブ上で読めるという。という訳で、この頃はよくネット・カフェに通った。私がよく利用したのは上記のALOHAである。ここが一番近くて回線が 速かったからだが、大学の先生や芸術系の知人、留学生なんかがよく利用していると分かる。そういえば、私は舞踊のレッスンを自宅でよくしてもらっていた が、その先生はレッスンのあとに決まって友人とALOHAで会う約束をしていた。そんな風に、ネット・カフェはちょっとした社交場になっている。それでパ ソコンが直っても、私も時々は知人に会うためにネット・カフェに行くようにしていた。

2003年から毎年夏に、私はジャカルタにも行くようになった。住んでいたのは都心部のカンプン(下町)で、その辺りには都心企業に勤める若い人向けの下 宿が多い。そんな地域でネットカフェをなんとか1軒見つけて入ったら、そこでメール通信をしている人は誰もいなかった。皆インターネット・ゲームをしてい たのである。客筋は中高生の若い男の子ばかり。壁に貼ってある料金表を見れば、基本料金はソロと同じであるものの、3時間とか6時間とかを超えるといくら という風に割引価格も示されている。6時間くらいゲームをする子もいるのかと思って、驚いた。この地域で遊びに来ている男の子達は明らかに華人系の顔で、 察するところ、この辺りの裕福な下宿屋の息子達であろうか。下宿の住人達はたぶんオフィスでインターネット・メールを使い(少なくとも私のジャカルタの知 人達のメールアドレスは皆オフィスのものになっている)、下宿近くではしないのだろう。ジャカルタにはソロのような社交場的ネット・カフェはないのだろう か、逆にソロにもこんなインターネット・ゲーム専門のようなカフェもあるのだろうか、と少し興味を覚えている。

水牛のように(2006年4月号) より




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