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2008.6.14更新
姿勢な風景

心をとらえるもの



冨岡三智  

パフォーマンスというのは観客の存在、つまり見られることが前提になっている。そしてパフォーマーは見せるに値するものを生み出そうとする。だが見るに値するものというのは、見せるに値するものの中にのみあるのだろうか?

パフォーマーに見せようとする意思があるのかないのか分からない、こちらが見ていることなどもまるで意に介していないようだが、だが人を魅入らせてしまう何かがある……。そんなパフォーマンスもあるのだとなぜか私は昔から確信していた。ジャワ舞踊を始めた頃からこれはそんな舞踊なのだという直感があって、ただそこに在るというような舞踊ができたらなあと思っていた。だがこういうことを人に話しても、怪訝な顔をされるのだった。

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水牛の2003年3月号、4月号で私は留学の最後で経験した公演について書いた。この公演で私は男性4人、女性4人が出演する作品に出ていた。女性4人のうち、私以外は芸大の先生達である。このとき共演の先生達(女性)は私に、細部の動きやサンプール(腰に巻く布)を払うタイミングをもっと皆に合わせるようにと何度も言った。それは振付家が要求する以上であった。

芸大では普段から共演者のタイミングや動きの細部を揃えることをやかましく言い、それは女性舞踊の群舞(スリンピやブドヨ)に顕著だった。実のところ私は芸大のその方針には賛成しかねた。もちろん芸大が世界的に有名になったのは、本来は宮廷舞踊であったものを質的に転換していくことができたからだ。群舞で一糸乱れず動きを揃えるというのは舞台芸術としてのあり方を追究していった結果に思われる。先生達にとってそれはあまりに当然のことだったが、この公演ではそれを目指しているわけではないと私は解釈していた。

そうは思うものの、一緒に踊るとなるとやはり共演者からの言葉は気になる。リハーサルの時に私は振付家、P先生(私の男性舞踊の師)とS氏(この公演に出演する踊り手)に一人ずつ、どうなのかと聞いてみた。3人が3人とも「合わせる必要はない!」と断言した。

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それから半年後の昨年7−9月、私はインドネシアに行った。調査研究のためだったが、この機会にその公演の私の舞踊について批評やアドバイスをもらいたいと思っていた。公演が終わって2週間足らずで私は留学を終えて帰国したので、当時はそんなことをする時間的余裕も精神的余裕もなかった。日本に帰って半年経ち、ようやく私はこの公演のことを客観的に見られるようになっていた。

まずS氏にコメントをもらいに行った。S氏はテクニック面や表現面で多くのアドバイスをしてくれたが、人に見せようとする意識がなかった点で私が一番良かった、それがジャワ舞踊にとっては一番大切なことなのだ、と言った。こんなことを言ってくれた人は今までにいなかった。その後私はP先生に会い、S氏と同じようなことを言われ、また他にも何人にも聞いて廻った。

もう一人、私はサルドノ氏にもコメントをもらいたかった。あの試験公演の主査だったからだ。氏は現存の人の中で多分一番古くからクスモケソウォに師事している。クスモケソウォは私の研究テーマの中で中心的な人物だ。その話を聞くためにもサルドノ氏には会いたかった。サルドノ氏もS氏やP先生と同様のことを言ったものの、「だが、これは試験公演だという緊張がまだ少し残っていた。それも全く抜けてしまったら、もっと踊りは良くなるだろう。」とつけ加えた。さすが主査は厳しく見ているという気がした。続けてサルドノ氏はクスモケソウォの教えについて語った。

ジャワ舞踊では踊っている間に瞑想のような精神状態に、さらにはほとんど眠っているような状態に入るのが理想である。誰かに見せようという意識もなく、すでに自分が踊っているという意識すら消え失せている。どこにも力が入っていない。パッ・ムングン(クスモケソウォのこと)の舞踊はそんな舞踊だった。それは見たことがある人でないと分からない。説明のしようがないのだ。人に見せる意識のない舞踊は、人の目を魅きつけようとするどんなパフォーマンスよりも、かえって見る者の心をとらえる。ジャワ舞踊は精神的な舞踊だからと言って、我々はお香を焚いたりろうそくの火を使ったりして演出する。しかし、たとえば白昼の市場で誰かがいきなり踊りだしたとしたら、しかもその人が全く人に見られることを意識していないとしたら、それはお香などで演出されたパフォーマンスよりもずっと我々の眼をとらえるのではないか? 君はそういう舞踊を一人で探ってみなさい……。

その話の最中にサルドノ氏はしばしば立ち上がり、パッ・ムングンの動きはとにかく独特で自分ではうまく再現できないが、と言ってやって見せてくれた。その動きは全く普通のジャワ舞踊ではなかった。こんな動きがかつてあったのか、ジャワ舞踊の奥にはこんな世界があったのかと鳥肌が立った。S氏の舞踊を見た時にも私は呆然虚脱していた(らしい)が、サルドノ氏はS氏よりほぼ一世代上であって、より古さを感じさせた。いま眼前に繰り広げられている動きは決して見て美しいわけでなく、また型が決まっているとも言えず、半分眠りながら揺れているだけのような動きだったが、何か恐ろしいものを見た時のように私は目が離せなかった。

氏の言葉を胸に刻みながら、しかし最後に一人で探れと言われてがっくりきた。S氏にも一人で探求してみろと言われていたのだ。人に見られていることを意識しない舞踊を追究するというのは矛盾している。一体どうやって追究していけば良いのか、それはまだよく分からなかった。だが、私がうまく言葉に表せないでいた「ただそこに在るという舞踊」がどういうものか、それはおぼろげながら見えてきた気がする。2人は私のやりたい方向がそこにあると見抜いて、公案を与えてくれた。今まで辿ってきた道に続く、その行く先を指差してくれた人がいることを私は嬉しく思った。

最後に私は再びP先生を訪れた。P先生は自分より上の世代のS氏やサルドノ氏の話を興味深げに聞いてくれた。そして、芸大は芸術のあり方を近代化した、それがなければジャワ舞踊は今に残らなかっただろう、だがその過程でひきかえに失ったものも確かにあるのだ、と言ったのだった。

こんな風に多くの人を訪ねてアドバイスを受けながら、善哉童子の旅はこんなものだったのかなあという思いが頭をよぎっていた。

水牛のように(2004年2月号) より






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